8月の法語その2
敵と思った人が実は自分の恩人である
親鸞聖人が法然上人門下におられたとき、承元の法難といわれる事件が起きました。
時の権力者である後鳥羽上皇によって起こされた念仏教団への弾圧です。
結果、法然上人は四国へ、親鸞聖人は越後への流罪となりました。
当然、親鸞聖人をはじめ法然上人のお弟子さんたちは憤り抗議されました。
また、しばらくは念仏の教えを伝えるの控えてはいかがかといわれる方もおりました。
それに対し、法然上人は、「私はかねてからお念仏の教えを都から遠いいなかの人にこそ伝えたいと思っていた。
それがこの度のご縁でお念仏を伝える機会をいただくことができた。私はこれを罰ではなく御恩だと思っている」
といわれたそうです。
現在、浄土宗、浄土真宗の念仏の教えが全国に広まりいまなお伝わってきているのはこの事件があったからだといっても
過言ではないでしょう。
その後、法然門下の親鸞聖人の兄弟子、聖覚法印が権力を奪われ流罪となった後鳥羽上皇に『唯信鈔』というお念仏を勧める本を書き
献上しました。その本をご縁として後鳥羽上皇もまたお念仏の教えに帰依されたのです。
なんとも数奇なご縁でしょう。