6月の法語その1

自分がわからない人は他人を責める

自分がわかった人は他人を痛む

 

他人を責めるということは「自分はできるのに」という思いがまずあります。

では、自分と他人の違いはどこにあるのでしょうか。

自分ができる、他人はできない、というのは表面的なものです。

自分ができるようになったのはどうして?

どうして他人はできなかったのか?

生まれ、環境、教育・・・・などなど色々な要素があってはじめてできる自分が生まれます。

では、別な歩みであればどうだったか。できない自分もまたあったはずです。

できない他人もまた自分なのです。

自分がどのような存在なのか、どうしてこのようにあることができたのか。

そこに気づいたとき、他人はも一人の自分であり責める存在から痛む存在へと変わるのです。